コミュ障は、治さない、治らない、治させない(前編)
こんにちは! 悠(ゆう)です。
今日は、前置きが長くなるのですが、情けない自分がいとおしく感じられたことを書きます。
私の住んでいる市には複数の図書館があり、借りた本はどこの図書館に返却してもよいことになっています。
また、返却した際、ネットで貸し出し予約した本がその図書館に届いていれば、職員さんが声をかけてくださり、その場で借りられます。
そして、家族など他の人の分も、その人の貸し出しカードを持っていれば、代理で借りられ、返却に至ってはそのカードすら要りません。
私にとっては革命的に便利だと感じているのですが、大抵の自治体はこんな感じなのかもしれませんねw
さて、前提が終わったところで、今日は、自分と家族それぞれに、そろそろ返さないといけない本と貸し出し予約した本がありました。
私は、長い休みをいただいていることもあり、家族の分も返して借りることにしました。
しかし、いざ最寄りの図書館に着いたところ、(お約束どおり)貸し出しカードが、自分のも家族のも無いことに気づきました。
前回の図書のやり取りは家族に任せたので、カードもそのまま預けたままになっていたのでした。
そこで、迷った結果、まず自分の本だけを返すことにしました。
そして、図書の延滞のない(善良で優秀な)市民だったので、今回だけは予約の本を貸してもらえました。
ただし、家族の分は、いったん持ち帰り、別の図書館で返却することにしました。
なぜなら、そのまま家族の分を返すと、家族が予約した本を借りるよう職員に促されてしまい、釈明するのが何となくはばかられたからです。
喩えるなら、スーパーなどで、買う気が無いのに試食して店員に話しかけられたときの気まずさ、といったところでしょうか。
さらに今日は、自分の分のカードすら持っていなかったので、みっともなさマシマシです。
さて、持ち帰った家族の分の図書の処遇ですが、また次回にします。
大した話でもないのに、予想以上に長くなってしまったためですw
でも、「今日の悠暮れ」、初の前後編でございます!
悠 拝