今日の悠暮れ ~こころの帰り道~

心の相談員なのにウツになった私、悠(ゆう)が、人生の迷子を脱するため、道しるべを探していきます

正しい夢の見方

こんにちは! 悠(ゆう)です。

 

服薬を誤った影響で、2日間お休みしました。

妙にハイになって限界を超えるまで走ったり、不安や恐怖が強くてなかなか眠れなかったりと、気持ちのアップ・ダウンが激しかったです。

うつはぁ~、ジェットスター

 

今回は、「心理対比」について書きます。

これは、ざっくり言うと、イメージの力を利用した4つのステップで、自分が本当に望む目標を設定しつつ、達成しやすいよう心の仕掛けを作る、というものです。

 

具体的に見ていきましょう。

最初の2ステップはこんな感じです。

 

 ①自分が望むものを全て書き出し、最も欲するものを1つ選ぶ

 ②選んだものが叶ったとき、どんな状態になるか、できる限り詳細にイメージする

 

ここまでは、とても自然な流れですね。

②では、まだ経験したことのないことを想像するので難しいですが、五感を活用してイメージを鮮明にするほど効果があります。

脳に心地よい状態を認識させることで、自動的にその状態に近づく行動をするようになる、という寸法です。

 

これだけでも1つの技法になりそうですが、ここで終わると落とし穴にハマります。

それは、理想的な状態を疑似体験することで、脳が満足してしまうことです。

よくある単純なポジティブ・シンキングだけではモチベーションが維持できないのはこのためです。

 

そこで、残りの2ステップが必要です。

 

 ③想定されるトラブルを可能な限り書き出し、最も起きてほしくないものを選ぶ

 ④選んだものが発生したとき、どんな状態になるか、できる限り詳細にイメージする

 

要は、①②の逆をすることになります。

ネガティブなイメージをすることは気が進みませんが、これをすると、最悪な状態にならないようにするためには どうしたらよいか、と自然に頭が働きます。

さらに、想定したマイナスの状況に陥ったときの対策も考えておくと◎です。

 

このように、良いことと悪いことの両極端を対比的にイメージすることで、自分の脳にアメとムチを与えることが出来ます。

こうなると、障害があってもその先に望むものがある、と思えるようになるそうです。

 

日めくりカレンダーで言うと、「まいにち、修造!」と「まいにち、ネガティブ。」を統合した、といった具合でしょうか。

目的を達成するには、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」燃料にすることができれば良いですね。

 

悠 拝

クスリスク

こんにちは! 悠(ゆう)です。

 

療養中ということもあり、自宅にいることの多い私ですが、今日はジムへ行きました。

運動を控え続けていると、かえって調子が悪くなるようで、身体が疼きましたw

でも、ハリキリ過ぎてしまったので、省エネ・モードで。

 

現在の私の処方薬は、抗うつ剤(夕食後)と睡眠導入剤(就寝前)です。

抗うつ剤は欠かさず飲む必要がありますが、眠剤は無くても寝られそうなときは飲まなくてよい、と主治医から言われています。

そのため、眠剤はやや余りがちになります。

そして、それが悲劇?を生みました。

 

職業柄、薬をちゃんと飲まなくて問題になっているケースをたくさん見てきました。

なので、服薬管理はキッチリしようと心に刻んでいます。

しかし、定期受診の日が近づき、残薬をチェックしたところ、抗うつ剤がたくさん出てきました。

なぜ?? ・・・まさか!?

 

そうです。

あろうことか、ワタクシ、抗うつ剤と思って夕食後に余っていた眠剤を飲み、就寝前も眠剤を飲んでいました。

残りの錠数から察するに、2週間前の診察の日からのようです。

いやぁ、抗うつ剤眠剤、見た目がほとんど一緒じゃあないか、とは思いましたよ?

 

過ぎたことなので、とりあえず、主治医には正直に話しました。

すると、仏様の如き穏やかさを湛えで、「調子が悪くなければこのまま服薬を控える手もありますよ」、とのことでした(薬剤師には怒られました)。

しかし、2週間も服薬しなければ、抗うつ剤血中濃度は著しく低下するようで、確かに状態は悪くなっていました。

今の私には必要な薬だということが、身をもって分かりました。

 

精神科の薬はドラッグだと言い、服用を懐疑的に見る専門家や患者もいます。

しかし、多くの人にとって効果があるからこそ、医師が勧めている面もあるんだろうなぁと思います。

 

悠 拝

コミュ障は、治さない、治らない、治させない(後編)

こんにちは! 悠(ゆう)です。

 

今日は、昨日に引き続き、図書館放浪記の後半部分を書きます。

ちなみに、私が小さい頃、父は、TVアニメ「名探偵コナン」の予告編で、次回が1話完結でないと知ると舌打ちしていました。

きっと、この記事を読んでくださっているあなたは、舌でリズムを刻み、気づいたらボイス・パーカッションの名手となっていることでしょう。

 

さて、持ち帰った家族の分の図書ですが、ネットで別の図書館の所在地を検索し、2番目に近いところで返すことにしました。

そこへは過去に数回 行ったことがあるので、さすがに迷わないだろうと思っていましたが、さすが私でしたw

それでも何とかたどり着いたのですが、なんと改修工事のため閉館していました。

ただし、建物には工事用の覆いがかかっていたので、Googleマップを駆使しても苦戦した自分への慰めにはなりました。

 

そうこうしているうちに辺りは暗くなっていました。

開館時間もあるので、24時間対応の自動返却機を備えている、最新の図書館を目指すことにしました。

ちと遠いですが、この際、仕方がありません。

途中でお腹がすくだろうと、安いスーパーで2割引きのシュークリームを買い、愛車シティ・サイクルを走らせました。

 

すると、道中に気になる建物がふと目に入ってきました。

 「これは、図書館か? もしそうならギリギリ閉館時間前だ!」

 「でも、さっきネットで調べたし、無駄足になるのでは?」

 「いや、そうだとしてもロスは小さい、試す価値はある!」

そして私は、賭けに勝ちました。

 

無事に家族の本を返せたのですが、そもそも最初の図書館で済ませてしまえば早かったですよね。

なので、自分は本当に人見知りで情けないなぁ、と思いました。

しかし、ここ最近の学習の成果が出たのか、そんな自分がいとおしい、という気持ちが湧いてきました。

これは、世に言う俗に言う、「ありのままの自分を受け入れる」ことなのでしょう。

よっしゃー!

 

今はコミュ力偏重の時代ですが、人づきあいが苦手な部分も、ある程度のレベルまで改善したら、大切にしてあげた方が良いようです。

シリコンバレーにお勤めの方々も、精神疾患のボーダーをさまよいながらも個性に転換し、とても高度なお仕事をしているそうです。

 

病気と違って治らないから障害。

でも、障害は社会が勝手にマイナスと決めた個性です。

だから、自分の変えられないことを大切にし、そこだけは誰にも侵害させてはいけない、と思えました。

 

悠 拝

 

コミュ障は、治さない、治らない、治させない(前編)

こんにちは! 悠(ゆう)です。

 

 今日は、前置きが長くなるのですが、情けない自分がいとおしく感じられたことを書きます。

 

私の住んでいる市には複数の図書館があり、借りた本はどこの図書館に返却してもよいことになっています。

また、返却した際、ネットで貸し出し予約した本がその図書館に届いていれば、職員さんが声をかけてくださり、その場で借りられます。

そして、家族など他の人の分も、その人の貸し出しカードを持っていれば、代理で借りられ、返却に至ってはそのカードすら要りません。

私にとっては革命的に便利だと感じているのですが、大抵の自治体はこんな感じなのかもしれませんねw

 

さて、前提が終わったところで、今日は、自分と家族それぞれに、そろそろ返さないといけない本と貸し出し予約した本がありました。

私は、長い休みをいただいていることもあり、家族の分も返して借りることにしました。

 

しかし、いざ最寄りの図書館に着いたところ、(お約束どおり)貸し出しカードが、自分のも家族のも無いことに気づきました。

前回の図書のやり取りは家族に任せたので、カードもそのまま預けたままになっていたのでした。

 

そこで、迷った結果、まず自分の本だけを返すことにしました。

そして、図書の延滞のない(善良で優秀な)市民だったので、今回だけは予約の本を貸してもらえました。

 

ただし、家族の分は、いったん持ち帰り、別の図書館で返却することにしました。

なぜなら、そのまま家族の分を返すと、家族が予約した本を借りるよう職員に促されてしまい、釈明するのが何となくはばかられたからです。

喩えるなら、スーパーなどで、買う気が無いのに試食して店員に話しかけられたときの気まずさ、といったところでしょうか。

さらに今日は、自分の分のカードすら持っていなかったので、みっともなさマシマシです。

 

さて、持ち帰った家族の分の図書の処遇ですが、また次回にします。

大した話でもないのに、予想以上に長くなってしまったためですw

でも、「今日の悠暮れ」、初の前後編でございます!

 

悠 拝

「インナー世間」との付き合い方を見直す

こんにちは! 悠(ゆう)です。

 

今日は、遠くの病院や実家などに用があったので大移動でした。

さすがに疲れていると思うので、今日は休みます。

 

だだ、初めて知って心に残った言葉があるので、忘れないうちに書いておきます。

「インナー世間」です。

意味は、自分の中にいる、自分の頭で作ってしまった「世間の人」、だそうです。

そして、人から何か言われて「自分は間違っている」と感じたとき、本当に自分を責めているのは、その何かを言った人ではなく、「インナー世間」なのでしょう。

 

確か、このような概念に相当する心理学用語があったはずですが、忘れちゃいましたw

ちなみに、私の「インナー世間」は、4日前に書いたロッテンマイヤーさんですね。

怖い人ですが、きっと私のためを思ってくれた部分も多かったはず。

少しずつ彼女に歩み寄って、より良い関係を築いていけたらと思います。

 

悠 拝

世界トップ企業の入社問題に挑戦!

こんにちは! 悠(ゆう)です。

 

今日は得意な風呂掃除だけでなく、普段はやらないトイレ掃除をしました。

慣れないこと且つ楽しそうでないことをするのは、本当に億劫なものです。

でも、家の汚れや散らかり具合は、心のゴミの量と正の相関関係にあると言われているように、作業が進むごとに心地よさが得られました。

そういえば、「おらの心は水洗便所のように綺麗だべ!! 」という方もいましたねw

 

さて、今回は、あのマイクロソフトの入社試験の過去問を解いてみましょう。

問題はこんな感じです。

 

「ちょうど1時間で燃え尽きる導火線が2本とライターがあります。これらを用いて、45分間を測ってください。ただし、2本の導火線の材質は不均質で、場所によって燃えるスピードが違います。」

 

いかがですか?

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、与えられた条件では、導火線の半分の長さを燃やしても30分間にならないこともあり、難しいですよね。

私がこの問題を知ったは、松丸亮吾さんという、大学生の身でありながら、知識ではなく思考力が問われるTVのクイズ番組に、問題を提供している方の動画です。

 

www.youtube.com

 

この問題なんですが、なんと私、ノーヒントで解くことが出来ちゃいました!

自分には、創造的思考のセンスがある。

うつになってから、それまであったと思っていた自信が、一気に失われ、その後も徐々に減衰していたので、心の底から嬉しいです。

 

1つの正解を求める力やみんな同じが良いとされる、現代日本の教育方針の影響を強く受けた人ばかりで構成されている組織では、クリエイティブな人間はガン細胞のように見られるのでしょう。

出る杭は打たれる。

私は、出過ぎて打たれないくなった杭となって、職場に復帰したいです。

 

悠 拝

人生の必須科目!? アサーション・トレーニング

こんにちは! 悠(ゆう)です。

 

今日は比較的よい状態ですが、ハイになっていた昨日の反動はありました。

急にめまいがしたり、気持ち悪くなったり。

神経を酷使しているんだなぁと改めて実感しました。

 

今回は、自分の快復に不可欠なものの1つだと強く感じている、アサーションについて書きます。

 

アサーションって言葉、ご存知でしたか?

私は、聞いたことはある程度で、アファメーション(肯定的な宣言、自己暗示)とごっちゃになっているレベルでした。

なので、図書館でイラストが多そうな本を借りて読んでみたところ、子ども向けなのにとてもズシンときました。

 

アサーションとは、まず、自分も相手も大切にするコミュニケーション・スキルのことのようです。

自分の主張ばかりして相手への配慮を欠く攻撃型でもなく、相手のことばかり考えて自分のこと主張することが苦手な受け身型でもない、バランスのとれた心地の良いスタイルが特徴です。

そんなアサーティブな考え方や言葉の使い方が、本を読み進めていくと、一つひとつ解説されていました。

 

私は、完全に、自分のことを主張することが苦手な受け身型でした。

しかも、それがある意味正しくて美しい(国の住人らしい)とさえ思っていました。

しかし、いつも自分の考えや気持ちをしまい込んでいると、自分が苦しくなるし、周りも手を差し伸べようがなくなってしまいます。

 また、上司が攻撃型ということもあり、指導という名のサンドバック状態を、私の心の内圧が限界に達するまで許してしまったのだ、という内省に至りました。

 

 また、アサーションには、アサーション権という、権利擁護の側面があるそうです。

権利は、とても重要な概念ですが、抽象的で理解しにくい部分もあります。 

そのため、私の頭では、性別・年齢・人種・障害などによる差別反対運動を見ても、「けんりよーごは重要だ」程度の小学生並みの感想しか頭をよぎりません。

しかし、具体的なコミュニケーション・スキルを学ぶことで、「I'm OK. You are OK.」という、権利の本質に触れることが出来たのではないかと感じています。

 

アサーションの重要性は理解し始めましたが、受け身型の私には、自分の考えや感情を主張するということは、とても勇気がいることです。

反対に、攻撃型の人が相手を尊重することも、同様に難しいのでしょう。

だから、トレーニングという言葉がセットで出てくるのだと思います。

でも、気づきが何より大事なはず。

少しずつ幸せになる勇気をつけていこうと思っています。

 

悠 拝